スぺヰス土鍋 http://www5.hp-ez.com/hp/proto-type 思いついたこととか、やってみたこととか、読んだSF小説についてとか、いろいろ書いてみようとおもう。 ja <![CDATA[トーハクから眺める]]>
上野の東博に『空海と密教美術展』を見にでかけた。上野は夏休み前に西洋美術館で『古代ギリシャ展』を見て以来だ。美大生か!!とつっこんでみる。
最終日前日の土曜ということもあって、30分待ち。待ち時間に、遠くに見えるスカイツリーをぱしゃり。青い空に呑まれそうな白。心もとない、不安げな姿がなんでか気にいった。
並んでいる間にもいろいろ楽しかったけれど、そのあたりは割愛する。

そして入場。予想はしていたけれど、やはり人が多い。入ってすぐに教科書で見たきがする(友人たちがこぞってラクガキしていた)弘法大師空海の図があったり、書があったりしたけれど、目当てではないし見ても分からないことは明らかなので華麗にルックオーヴァー。どうせユーキャンのボールペン字講座で挫折を味わうレベルの悪筆です僕は。

そして曼荼羅のコーナーへ。曼荼羅を刷る版をみて非常に驚いた。そういう作り方なのか、と。でも、宗教が根付いた社会って、実はある意味ドライなのかも、とも思う。仏教国では、ニンジンの皮をむくのにピーラーを使うのと同じように曼荼羅が刷られているのかもな、なんて。

続いて仏像のコーナー。一番拝みたかった如意輪観音菩薩像は、とても艶めかしかった。仏像が金色に彩色される必然をなんとなく理解できたような気がする。薄暗い本堂にボンヤリと神秘的に浮かび上がる本尊はやはりあの色でなくてはならないのだ。 下調べをほとんどしなかったので、醍醐寺の薬師三尊像を拝めたのは予想外だった。思っていたよりもずっと大きくて、顔が平らで優しそうだった。さすが薬師如来。両サイドの日光・月光菩薩像はどちらがどちらか思い出せなくて、受験時代からもう三年たつんだなと、変なことを感じた。 不動明王像は、なんというか、勝てる気がしない、、、といった感想。持国天も同様。比べてはいけないものものを比べていることは重々承知だけれども、本当に、強そうだった。持国天に至っては邪鬼を踏みつけているわけで、なんだか目をそらせなくなった。とりあえず、ごめんなさい、と心の中で謝っておいた。 象にまたがる帝釈天は、象がとてもカッコよく造形されていたがために、不覚にも厨二マインドを刺激された。神獣チックな象にまたがる帝釈天、、、熱い。Fateは神様ナシな暗黙の了解があるけれど、シャーマンキングならアリだな、、、みたいな妄想でしばらく動けなくなった。2424。

トーハクを出ると、外はもう暗くなりつつある。秋だ。

帰宅して(帰路でねんぷち付きのプリヤ4巻を買ったりラーメンをたらふく食べたりミスドで3時間くらい読書したりした)から、唯一トーハクで撮影したスカイツリーの写真をみた。撮ったときはなんの事のない只の写真だったのだけれど、密教美術展の影響か、それが仏塔に見えたんだ。

「世界最高峰の巨大建造物・東京スカイツリーは、実は仏塔だった!!」なんて、コンビニの低俗な雑誌の記事みたいだ。仏舎利が安置された巨大電波塔が外宇宙とかパラレルワールドとかから送りこまれてくる外敵に妨害電波を飛ばして、発見されるのを防ぐのだ。みたいな。
もしくは、政治不安とか疫病とかを押さえつけるリアル鎮護国家思想とか。
陰謀論とオカルティズムの夢の競演。

そんなこと思って、まだまだガキだなあって、思うのでした。 ]]>
http://www5.hp-ez.com/hp/proto-type/page4/bid-159889Sat, 24th Sep 2011 23:58:15 +0900
<![CDATA[天冥の標? メニー・メニー・シープ]]>
遅ればせながら、前々から狙っていた小川一水さんの『天冥の標』を読み始めた。こういう、木曜洋画劇場、みたいな雰囲気好きだ。登場人物が出てくると下に役者の名前とキャラの名前が出るじゃない。ああいう。(100%脳内ィメイジ)

登場人物たちが一人一人、ちゃんと行動原理を持っていて、魅力的だ。「恋人たち」の少年と「石工」のクレヴの関わり方が素敵。

そして、ルビと言葉造りがとても好きな作品。咀嚼者(フェロシアン)なんて見せられた日には、月厨まっしぐらである。

そういうわけで、明日は続巻、救世群(プラクティス)を読む。

あと、幼年期の終わりを読み返したくなった。最後の終末のシーンに相通ずるものを感じたわけです。 ]]>
http://www5.hp-ez.com/hp/proto-type/page4/bid-133031Mon, 11th Jul 2011 23:19:43 +0900
<![CDATA[英語版]]> 出てくる表現自体はそこまで難しくはないのだけれど、そうは言っても英語。
きつい、すごくきつい。

だけれど一つ、発見もあった。

物語の性質上、ヨコモジのほうが日本語よりも向いていということだ。

ディック賞の講評を見たわけではないけれど、外国で受けたのにはそういう面あるのではないかと思った。 ]]>
http://www5.hp-ez.com/hp/proto-type/page4/bid-128334Wed, 29th Jun 2011 21:03:07 +0900
<![CDATA[フィクション、あるいは想像するチカラ]]>

『いま集合的無意識を、』それが掲載された物語のタイトルだ。

「さえずり」(twitterを「さえずり」とする皮肉がたまらない)上で出会った伊藤計劃を名乗る何者かとの対話を通して、人間の未来を想像してゆく過程を描いた物語。伊藤計劃を知っていることが前提だから、偉大な神林長平という作家に「共犯関係」じみたものを感じて、読みながらうれしくなった。

「フィクションの力を信じよ!」
『ハーモニー』を遺して逝った作家と、ぼくたち3.11.の世代への力強いメッセージが心を打つ。リアルに対抗しうる武器は、ただ、唯一、ぼくらの頭の中にあるのだ。

評論・批評の類として読むならば、きっとSF専業作家を30年もやってきた人だからこそ書けるもの。単純な「伊藤計劃論」ではなくて、「SF的想像力論」なのだろうと思った。 ]]>
http://www5.hp-ez.com/hp/proto-type/page4/bid-127373Mon, 27th Jun 2011 02:00:38 +0900
<![CDATA[どちらが、先?]]>
ぼくが最近読んだ作品、伊藤計劃さんの『虐殺器官』。近未来世界における文学的な軍人の戦いの顛末を扱うお話なんだけれども、登場するガジェットが恰好良くて、それだけでも一読の価値がある。「フライングシーウィード」や突入用のポッド、人工筋肉のポーターなどなど。倫理の話にも繋がっていて、さすが!と思わされた。主人公、文学的な軍人だから。倫理的なことも考えてしまうわけです。

その軍周りの技術も面白かったのだけれど、特にぼくの興味を惹いたのは、医療周り。医療用ナノマシンの存在であった。それは、身体のあらゆる機能の代替をやってのける。まさに身体機能のアウトソーシングといって間違いない技術だ。

伊藤計劃さんの作品は人体という、どうしようもなく抗いがたい、人間の限界たる自然を扱っている印象がある。『虐殺器官』でも『ハーモニー』でも、身体を起点として発生する意識という現象を扱っていた。そして、それを越えようと人間は挑戦するのだ。

なんだか、「分子標的治療薬」と似ていると思う。「身体を、デザインする」という発想。

Newtonの「分子標的治療薬」の記事にはこんな見出しがあった。

発見される薬から、意図的に設計する薬へ

こういう発想はSFで初めになされて、現実を覆うのだろうか。それとも、お医者さんや薬学の学者さんが先なのかな。


悪いことではないのかもしれないけれど、人間はそこまでやってもよいのかな。なんて伊藤計劃さんを読むと思ってしまうわけです。

ぼくたちは目を逸らしているだけではないのか。是非の議論が必要なのではないか。全ての人が考えるべき問題ではないのか。

先とか後とかじゃなくて、文学にはそういう問題意識の拡散効果があるということは分かった。 ]]>
http://www5.hp-ez.com/hp/proto-type/page4/bid-126253Fri, 24th Jun 2011 09:00:28 +0900
<![CDATA[腐得山]]>
JR御茶ノ水駅を中心に半径3キロほど。それがぼくの行動範囲。

しかし、そのなかには神保町をも内包する。つまり、世界の一であり全でもあるのだ。






古書店街。神保町には127のそういうお店があるとか。127っていうのはすごく曖昧な記憶とぼくの多少なり偏屈かもしれない音と言葉の感覚に基づいているから、事実と虚構との合いの子である。少なくとも、ぼくにとっては。ひゃくにじゅうなな、いい響きだ。うっとぉり、してしまう。ひゃくにじゅうなな、えろい。

古書店というものは、普く、遍く、つまり普遍的に、薄暗い。普遍的に薄暗いからといって、普遍的にえろいかと問われたら、否、と答えるしかない。思春期男子にはそれだけは理解しておいて頂きたい。図書館でえろいことがおきるのはワニマガとコアマガとアゲサゲの中だけである。あれは虚構だ!!

普遍の薄暗さを誇る神保町は世界を内包する。普く時代の、遍く世界の、つまり普遍的な書物たちの集積。個々ではいつかの、どこかの、だれかの見た一つの景色なのだけれど、なにせ127の古本の山の集合体だ、総体として、普遍的な世界を体現しているといっても過言ではない。童話があり、専門書があり、純文学があり、SFがあり、ヌード写真集がある。それも普く、遍く。昔のロシアのポルノらしき写真集のえろさは異常である。

山は世界の歴史とともに膨張を続ける。国内書籍の集積所、国会図書館は蔵書にハコが追いつかなくなりつつある。と以前TOKYO FMのアヴァンティのポッドキャストで誰かが語っていたから間違いない。いはんや世界の山をや、である。


ぼくはね、腐ってしまわないか、不安なんです。


増え続けていく、人々の言葉の山。ほんとうにきちんと残っていくのかな。いつか、誰かが読んであげられるのかな。言葉や価値観は変わっていく。すでに解釈が喪われてしまった物語もある。それに冷蔵庫で大切に保管したって、賞味期限には限度があるじゃない。

ふえるやまは、増える山で、腐り得る山だ。なんて、あまりの暑さに脳髄が腐りそうになりながら駄文を弄してみるのである。

この文は、明日には腐り落ちるだろうな。せめて、苔か藻か何かの栄養になってくれたら本望である。

今日、休みだけど平日だからな。暇なんだ。 ]]>
http://www5.hp-ez.com/hp/proto-type/page4/bid-125478Wed, 22nd Jun 2011 10:58:09 +0900
<![CDATA[SFということでオゥケィ? そのに]]>

古参のファンの人たちの中には確固たる「SF像」みたいなものがあるのかもしれない。でなければ共通認識でもって語り合うことが出来ないだろうし。
SF誌を読んでみると、みなさん違うことを仰っているような気がして、人それぞれなのだろう、と思うわけなのだけれど。


そうすると、とりあえず、ぼくも自分の中で「SF像」作っていかなきゃいかんのう。と思うわけです。

そこで、ぼくが、その線引きのために叩き台にあげたいのは(勝手に上げてごめんなさい、TYPE-MOONさん、いつも応援してます! 『Fate/EXTRA』というRPGだ。

この作品、名前の通り言わずと知れたTYPE-MOONのカルト的人気?ゲー『Fate/stay night』のスピンオフなのだけれど、本家とはかなり毛色が異なる。ステイナイト・ホロウアタラクシア(・ゼロ)と続く正史『Fate』が一貫して魔術のある世界の物語(新伝綺・ファンタジー)であるのに対して、外伝『Fate』たるエクストラは疑似的な魔術・科学に基づく魔術の代替物の世界の物語なのです。

ここで大切なのは、『魔術の代替物としての科学』であること。そして、それがぼくの頭を悩ませる要因なのです。というのもこの世界がなかなか曲者で、魔術が初めから無かった世界(あくまで科学で説明をつけた世界)ではなく、魔力が失われてしまった世界であるというのだ。

電脳世界SE.RA.PH.で再現される冬木の聖杯戦争。令呪もサーヴァントも宝具も登場する。ただ其れが、超巨大な地球観測機ムーンセルオートマトンの計算能力で作りだされた、デジタルなものであるという点で科学で説明されているわけで、でもあくまでも魔術時代の聖杯戦争を継承している点で非科学を否定しない世界観なのです。

第一、魔術だって、想定で科学的(論理的?)に体系づけてしまえば、それはそれでSFになってしまう気もする。円城塔さんの『烏有此譚』で仕入れた情報だけど、チオチモリンとかアイス・ナインがアリなら、奈須きのこの魔術理論もアリじゃね?という気分になってくるわけです。以前読んだロジャー・ゼラズニィの『光の王』なんて、もはや説明なしで超絶科学技術使いまくってたけど、SFだし。ブラックボックス化した超科学と論理的な魔術理論はどっちがSFだ。

話逸れた、、、軌道修正しよう。

根っこがファンタジーで幹や枝葉がSFな場合、どう判断すればよいのかな。

これは、SFか、否か。まだ答えは出せそうにない。



まぁ、面白ければ何でもよいっていうのも、一理ある。

さて、今日は徹夜でシュタゲ祭りである。 ]]>
http://www5.hp-ez.com/hp/proto-type/page4/bid-124608Mon, 20th Jun 2011 00:17:22 +0900
<![CDATA[伊藤計劃の『ハーモニー』]]>
昨日までの四日間くらいで全体の30%と、かなりのスローペースで読んでいたのだけれど、今日、4合目に差し掛かった辺りからノンストップだった。

どんな物語にしても言えることだけれど、世界観の中に読者を没入させるプロセスというものがあるとぼくは思う。この小説は、というか、伊藤計劃の小説は緻密だからこそ少し時間がかかるんじゃないかな、と。それは良い悪いじゃなく、それも込みこみで文学だと思うわけです。

まぁ、そんなことはどうでもよくて、すごい小説だった。細部の作りこみは構成や社会の設定だけではなくて(もちろん其れも素晴らしいものだった)、叙述の仕方や主人公の立ち位置にまで渡っていた。ただなんとなく、だと思って読んでいた自分が恨めしい。「伊藤計劃を侮る勿れ」とおよそ110時間前のぼくに聞かせてやりたい。小出しにしてくる情報が、続きを読みたいという気持ちを刺激するものだから、もう、朝である。外が明るくなってきてしまった上に、チュンチュンと鳥も鳴いている。とても清々しいのだけれど、この清々しさの正体も分かったもんじゃないな。と慄く。

読み終わったときの気持ちが何かに似ていると思ったのだけれど、そうか、徹夜明けに鳥の声を聞く朗らかに、似ていたんだ。 ]]>
http://www5.hp-ez.com/hp/proto-type/page4/bid-124258Sun, 19th Jun 2011 04:21:08 +0900
<![CDATA[SFということでオゥケィ?]]>
アニメを見た感じだと助手ラヴなのだけれど、原作プレイ済みの友人は「まゆしぃが、まゆしぃが(ハァハァ」と狂ったようだったからなぁ。どうなのかしらん。ちなみに、このどうなのかしらんは、まゆしぃどうなのかしらん、と、ゲームに頭やられてうわ言のように「まゆしぃが、まゆしぃが(ハァハァ」となるのは(大人として)どうなのかしらんのダブルミーニングなのである。まぁ、Fateのライダーにがっつり入れ込むぼくも人のことは言えないのだけれど。

問題は、いつやるのか。という一点に尽きる。角川春樹いはく、や、角川春樹が言ったのかは知らないが「読んでから観るか、観てから読むか」だ。アニメが先か、ゲームが先か。卵が先か、鶏が先か的なその議論は普遍的かつ人類にとって至上の命題にちげぇねぇと思うのだ。そう、俗に言う鶏卵主義である。言わないか。少なくとも、ぼくは初めて聞いた。

中性子星理論とかブラックホール理論とか光速理論とか、非理系のぼくにとっては非常に憧れる。SFを書くための勉強と思って、大事にプレイしよう。

問題は、ほんとかうそか、ではない。リアルか否か、であると思うのだ。 ]]>
http://www5.hp-ez.com/hp/proto-type/page4/bid-123306Thu, 16th Jun 2011 16:54:58 +0900
<![CDATA[ホームページをはじめてみた]]>
私の物語歴を遡行するとき、もっとも美しく思い出されるのは小学4年生の冬、母が初めてのパートの給金で買ってくれた「夢水清志郎の事件ノート」シリーズだ。夢中になって、ご飯の時間も忘れて読んだのをよく覚えている。あの時、読書という趣味を与えてくれた母のおかげで、今の自分があると言っても過言ではないと思う。

そんなわけで、初めはミステリが好きだった。しかしまぁ、はやみねかおるから横溝正史に直行したセンスと背伸びは、未だに馬鹿ではなかろうかと思っている。亜衣ちゃんが小栗虫太郎好きだったから、読んでみようかと思ったけれど、それはなんか無理だったわけである。むしろ、まだ読んでいない。

次に来たのは恩田陸。『六番目の小夜子』とか『エンドゲーム』とか大好物だ。このあたりで、自分は不気味なものが好きなのだと気が付いた。一番良かったのは『Q&A』で、これもまた不穏だった。

あとは、目についた本を手当たり次第、といった感じだったから、もはや覚えていない作品も多い領域に入る。背伸びして司馬遼太郎を読み漁った中学生時代なんてのも在ったけれど、今思えば暗黒時代だ。あれは中学生には面白くないと思うんだけどなぁ。いまならともかく。

高校生時代は、ただ『新世界より』と『Q&A』に尽きる。深刻なまでに自分に残っているのはその二冊くらいだ。とにかく不気味で、不穏で、呼吸困難だった。

大学生になって、本を読まなくなった。深夜アニメばかり観た。夢中になって、いつのまにか朝を迎える。そんなことが無くなっていた。文学部なのに。けれど、アニメ見てマンガ読んで、なんだか胸の内に空虚を感じるときがあった。

だから、今度はADVゲームに手を出した。テキストを追って、選択肢を選ぶアレである。Fate、月姫、ヨスガ、、、そんなに量はこなしていないが、自分が絶対的な文字の量を求めていることに気が付いた。読んで解釈して、想像したいのだ。

そんなとき、ふと、SFが読みたいと思った。別にハヤカワの『SFが読みたい!』にかぶせたわけではない。

こうして遡ると、常に私の人生の傍には物語があったようだ。そういうわけで、自分でも作ってみたいなぁという気持ちは、客観的に見ても分からないでもない。

よし、がんばろうと思う。 ]]>
http://www5.hp-ez.com/hp/proto-type/page4/bid-123157Thu, 16th Jun 2011 03:52:47 +0900